寺畑村(近世)

江戸期~明治22年の村名。下総国相馬郡のうち。関宿藩領,宝永5年旗本村上2氏の相給,幕末期は旗本村上2氏と幕府の相給。村高は,「元禄郷帳」475石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに501石余。鬼怒川は村の南で東に屈折して小貝川に合流していたが,寛永7年に幕府代官伊奈半十郎が新宿から南へ掘削して利根川に合流させた。この時小貝川に続く鬼怒川の締切りに際し当村の名主に功績があり屋敷として3反歩が除地となった。村の西端を流れるようになった鬼怒川には寺畑河岸ができ,江戸への物資を積み出した。用水は小貝川の福岡堰から取水した。鎮守は愛宕神社。明治8年茨城県,同11年北相馬郡に所属。明治8年法釈院に寺畑小学校,同15年駐在所を開設。明治22年小絹村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7275178 |





