伴部郷(古代)

平安期に見える郷名。「和名抄」常陸国多珂郡八郷の1つ。大伴部の設定と関係のある郷名で,はじめ大伴郷とよばれ,弘仁14年以降淳和天皇の諱を避けて伴部となったといわれるが(新編常陸),伴部は膳大伴部の置かれたところである。彩色および彫刻壁画のあるかんぶり穴横穴墓群(現日立市川尻町十王前)があり,当郷あるいは隣接の藻嶋郷の支配者に関連のある者たちの墳墓(日立市史)。「風土記」に見える碁子の浜は,当郷内の小貝浜のことで,その碁子の「色は珠玉の如し。謂はゆる常陸国に有らゆる麗しき碁子は,唯是の浜のみなり」という。現在の十王町友部・日立市川尻町付近に比定される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7275320 |