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額田(中世)


 鎌倉期から見える地名。常陸国佐都西郡のうち。弘安田文に「額田八十一丁半」と見える(税所文書/県史料中世Ⅰ)。「額田系図」によれば,佐竹義重の子義直が当地に城を築き額田氏を名乗った。また額田義兼は,足利尊氏に従い山城東寺に戦死したため,一族昌直があとを継ぎ北朝方として国内を転戦したという(新編常陸)。応永30年3月日の烟田幹胤軍忠状写に「依佐竹上総入道常元隠謀,同子息并一族以下御敵等,館籠常州額田城々間,為御退治」と見える(烟田文書)。山入与義一族と佐竹惣領家との抗争に関して額田城が山入方の軍事的拠点を形成し,烟田幹胤をはじめ鳥名木国義などが佐竹惣領家(義人)に属して,応永28年以来,額田城攻めに参加している(鳥名木文書/県史料中世Ⅰ)。応永30年,額田城は陥落し,山入方に属した額田秀直・義亮父子も滅亡したといわれる(新編常陸)。明応3年頃と推定される年月日未詳の当乱相違地注文写に「一,高場・額田知行人足等〈江戸違乱〉」と見える(岡本元朝文書/家蔵文書)。文亀3年7月29日の滑川兵庫助にあてた佐竹義舜判物写には,「今般恩賞之事申上候……〈ぬかた〉……遣者也」と見える(滑河与一左衛門文書/家蔵文書)。「堯雅僧正関東下向記録」の元亀2年9月26日条に「常州額田八幡」,同年10月4日条にも「額田大音院」とある(三宝院文書/結城市史)。天正18年と推定される関東八州諸城覚書にも「一,糠田城」と記されている(毛利家文書4/大日古)。文禄3年の太閤検地を機に那珂郡に属す。額田城は久慈川に山田川・浅川が合流する低湿地に接した台地上に築かれた城郭で,低湿地に接する先端に本丸,その北方に二の丸,西方に三の丸がある。現在,各郭を区切る濠が残る。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7275807