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古渡(中世)


 南北朝期から見える地名。常陸国東条荘のうち。応安年間頃と推定される年月日未詳の海夫注文に「東条庄内一方 福戸津」「ふつとの津〈とうてう〉一方東条能登入道」と見える(香取文書/千葉県史料)。福戸津は,信太郡を東西に分ける小野川の下流にあった榎浦が霞ケ浦と接する地点に位置し,東条能登入道の支配下に置かれていた。興禅寺の北条政子寄進と伝える延命地蔵や政子河岸の伝承も残り,かなり早くから港として開けていたと思われる。小野の逢善寺に残る檀那門跡相承資并恵心流相承次第の宝徳4年3月19日の弘尊注記に「常州東条庄阿波安穏寺亮栄法印……近国隣庄ノ所化集リ,西ハ志々塚,北ハ古渡・佐倉,東ハ島須田,南ハヲシズナ,マガ淵迄,旦那ヲ取リ」と見え(逢善寺文書/県史料中世Ⅰ),その名残か,この地には多宝院,智福院という天台宗寺院が存している。さらに,戦国期には,土岐氏の勢力下に置かれていたようで,永禄11年5月1日には,江戸崎城主土岐治英によって,文治年間の創建と伝える熊野権現社殿が再建され,天正15年にも,江戸崎城主の土岐治綱によって,再び社殿の建立が行われている(東条古渡智福院熊野権現棟札写/安得虎子)。天正18年から慶長7年までは佐竹氏の一族蘆名盛重の所領内に入る。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7276448