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足利市(近代)


 大正10年~現在の自治体名。足利・助戸の2大字と市制施行と同時に起立した35町を編成。役場を本城3丁目に設置。市制施行時の人口3万3,637。大正15年足利・助戸の残部から10町が起立。織物業の発展により人口の増加が続き,昭和5年4万3,898,同15年4万8,310となった。また第2次大戦中も軍需工業の進展と学童疎開などで人口は一層増加し,昭和22年5万1,309,同25年5万2,810となる。当地は,第2次大戦前には足利銘仙生産の中心都市であったが,第2次大戦中戦時企業のため一時的に壊滅状態となったが,戦後再び織物とトリコット(経メリヤス)を中心とした日本有数の繊維産業都市に発展していった。大正14年足利内地織物業者が2か月の休機を決議した(県のあゆみ)。昭和7年米よこせ運動が起こる。同年本県初の商業組合が設立され,同10年には内地人絹織物工業組合,同11年足利型紙捺染工業組合,同12年足利内地織物工業組合が設立された。同13年撚糸応用の模様銘仙が全国で第1位となる。同年台風のため浸水家屋が多数でき,死傷者も続出した。同16年足利織物同業組合解散。同16年頃足利織物業界は大好況期を迎えた。昭和16年足利染色工業組合設立。同年宇都宮・栃木・足利3市商工連絡協議会結成。同18年織機強制供出(県のあゆみ)。昭和26年毛野村を合併し,旧大字名を継承した9町と猿田【さるた】町(北猿田【きたやえんだ】が改称)を加える。同28年山辺町,同29年山前村・三重村・北郷村・名草村を合併し,各旧町村の大字名を継承した17町と合併と同時に起立した中川町・西新井町・鹿島町・名草上町・名草下町・名草中町を加える。同29年錦町・千歳町・常盤町,同31年久松町・芳町・花園町・弥生町・真砂町・富士見町・末広町が起立。同34年富田村を合併し,旧大字名を継承した7町を加える。同35年群馬県矢場川村の一部を編入し,同時に起立した里矢場町・藤本町・新宿町と南大町・荒金町の5町を加える。同37年坂西町・御厨町を合併し,各町の旧大字名を継承した19町を加える。同41年宮北町,同42年若草町・寿町が起立し,勧農町が消滅。同43年群馬県太田市・邑楽村との間で境界変更が行われた。同45年福富新町,同49年問屋町・毛野新町1~4丁目,同52年小俣南町,同53年赤松台1~2丁目,同55年伊勢南町,同56年利保【かかぼ】町1丁目・江川町1~3丁目,昭和46年伊勢町1~3丁目,同55年伊勢町の残部から伊勢南町・伊勢町4丁目,同57年葉鹿町1~2丁目が起立。昭和54年太田市との間に境界変更が行われた。昭和34年ベンゾール中毒患者が190名を超え,新しい職業病として注目された。同35年日本理研ゴム足利工場で圧力管の爆発事故が起き42名が重軽傷を負う。同42年足利銀行本店が宇都宮市に移転する(県のあゆみ)。また文化財の保存にも熱心で,大正10年足利学校跡,同11年足利氏宅跡が国指定史跡となり,昭和12年には織姫神社が完成した。同39年首都圏整備法に基づく市街地開発区域(現都市開発地域)の指定を受け,新しい工業衛星都市を指向した。工業団地・住宅団地の造成,道路整備などが進み,全国から誘致工場が入った。昭和40年代後半以降工場進出が止まり,伝統の繊維産業も不振となり,商業・文化・教育・観光などを軸とする市の将来方向に関しての模索が続くこととなる。昭和56年全国に先駆けて「足利市教育目標」が設定された。同57年には源氏にちなみ鎌倉市と姉妹都市を結んだ。世帯・人口は,昭和10年8,999・4万8,878,同35年2万3,746・11万972,同45年3万8,273・15万6,004,同55年4万7,152・16万5,756。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7277532