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和泉村(近世)


 江戸期~明治12年の村名。都賀郡のうち。日光神領。なお,中世から江戸初期にかけては近隣諸村とともに生岡山王社領であったとも考えられる(生岡山王志)。村高は,「慶安郷帳」では泉村と見え148石余(畑のみ),「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに292石余。「日光道中略記」によれば,朝鮮種人参が栽培されていたという。二宮尊徳によって日光仕法が開始された嘉永6年の家数47・人数260,馬数78,反別81町9反余,荒畑6町1反余・起返地4町5反余で幕末期の荒廃状況がうかがえる(全集)。慶応年間「日光山森羅録」によれば,家数47・人数281,馬数84,年貢は39貫763文3分で金納(日光市史)。神社には天長3年創祀と伝える磐裂神社,寺院には井伊家の日光参拝の際宿所ともなった天台宗月蔵寺がある。明治4年栃木県に所属。明治初年の戸数47・人口287うち僧1(同前)。明治8年月蔵寺に北和泉小学校が開校。明治11年上都賀郡に属し,同12年北和泉村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7277725