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板室(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ高林村,昭和30年黒磯町,同45年からは黒磯市の大字。明治24年の戸数55・人口280(男144・女136),学校1,水車場2。会津中街道の宿場として栄えた板室宿・三斗小屋宿だが,同37年に会津地方を通る岩越【がんえつ】鉄道(現国鉄磐越西線)が開通すると街道を通る物資は激減し,やがて皆無となった。こうして両宿とも宿場としての役目を失い,駄賃収入の道を断たれた。板室本村では農作と養蚕・子馬生産・山林労働などに生活の道を求めた。昭和35年からは大根の栽培が開始され,一時かなり盛んであった(村落―その歴史と風土)。三斗小屋宿は鉄道の開通で大打撃を受けた上に,4年後の大火で14戸すべてが焼失し,10戸は見切りをつけてこの地を去った。明治44年の三斗小屋宿の戸数4・人口23,馬3。ただし明治26年に銅山が開かれ,ほかに6戸・21人の無籍・無寄留者がいた(三斗小屋誌)。しかし昭和20年には銅山も閉鎖され,三斗小屋宿の戸数は徐々に減少し,昭和32年ついに最後の1世帯も去った。板室温泉は明治30年代になると,板室宿の衰退と入湯客の増加により,従来の季節的隠居仕事から脱し,定着するようになった。大正末期には黒磯からの道路が整備され,昭和10年には定期バスも運行され,徐々に発展した(村落―その歴史と風土)。昭和40年代に入ると,板室は急速に開発・観光化が進んだ。先ず同43年に那須山麓有料道路が開通し,同年奥那須国民の森が開設された。同48年には板室温泉が国民保養温泉地に指定され,那珂川に多目的ダムの深山ダムが完成,同時に沼ツ原に揚水式発電用の上池が造られ,深山ダムとの中間の地下に大規模な揚水発電所(沼原発電所)が開設された。また同年には県営板室発電所も開設された(黒磯市誌)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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