100辞書・辞典一括検索

JLogos

36

駒場村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。足利郡のうち。旗本宮原氏知行。村高は,「慶安郷帳」「元禄郷帳」ともに550石,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに803石余。天保年間の家数60(改革組合村)。当村は同領主の隣村多田木村とともに往古から諸役御免の地で,日光社参・法会の際の助郷・伝馬役などの諸役は免除された。この特権ゆえに改革組合寄場設立の際も独立して駒場・只木村組合寄場を形成した(近代足利市史)。名主は天和年間に金兵衛,天保年間に伝右衛門・富右衛門,弘化年間に八郎右衛門が勤める。明治4年栃木県に所属。「地誌編輯材料取調書」によれば,村の広さは東西11町・南北9町,面積163町余,明治8年の戸数84,人口395(男195・女200),主な物産は米753石余・大麦232石余・小麦162石余,民業は男は農業,女は農間に機杼を業とし,ほかに酒造屋1,質屋2がおり,寺社は,曹洞宗松雲山東陽院,鎮守の三柱神社,天満宮,沼鉾神社,八幡神社,山神社があった。明治6年東陽院内に駒場・多田木2か村を学区とする駒場小学校が開設され,同12年有道舎と改称,同20年駒場尋常小学校となったが,翌21年火災により寺岡町正慶寺に移る(足利教育百年史)。同年両毛鉄道(明治30年日本鉄道に属し,同39年からは国鉄両毛線)が地内を貫通。明治22年富田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7279035