下石塚村(近世)

江戸期~明治22年の村名。都賀郡のうち。「寛文朱印留」「元禄郷帳」では下総古河藩領,のち旗本稲生・神田・鈴木氏と壬生【みぶ】藩の相給。「旧高旧領」では稲生鑑十郎169石余・神田又一郎298石余・鈴木敬太郎256石余・壬生【みぶ】藩153石余。村高は,「慶安郷帳」651石余(田522石余・畑129石余),「元禄郷帳」771石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに878石余。「改革組合村」では小山【おやま】宿組合寄場に属し,天保年間の家数16。元禄9年日光街道小山宿の助郷,同13年同宿の掃除役を課され,勤高は771石(小山市史)。字本郷に真言宗明星寺,字星宮裏に星宮神社がある(旧県史)。明治4年栃木県に所属。明治11年下都賀郡に属し,同22年穂積村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7279247 |





