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鉄砲町(近世~近代)


江戸期~昭和49年の町名江戸期は宇都宮城下町の1町(宇都宮市史)もとは杉原町の一部(宇都宮町名起源考)天文年間に鉄砲が伝来してから鉄砲鍛冶をこの地に住まわせたのが町名の由来といわれる江戸初期から地子免許元文年間町方書上帳によれば,名主弥右衛門・太兵衛,町並みは南北長さ57間2尺・道幅4間,町家は西側10軒・東側14軒,うち本家16軒・小割家28軒,木戸1か所・番所1か所,ほかに会所坊寺院として天台宗称名院があり,町高は37石余(県史近世1)明和8年町方書上帳には,会所をふくめ家数34軒,この坪数456坪余と見えるまた,二荒山(宇都宮)大明神前馬場の南口にあった駒止めが,正徳年間頃,付近の町人の願いにより鉄砲町と馬場町の境に移されたことが記される(宇都宮市史)寛政年間の諸職人諸商人留によれば,塗物師2・米屋2・絵師1・研屋1・鋳物師1・菓子屋1・表具屋1・紺屋1が見える(同前)また,寛政8年宇都宮宿役馬町割覚によれば,池上町組に属し,馬1疋を負担する(県史近世2)「旧高旧領」では町高3斗余と見える明治22年宇都宮町,同29年からは宇都宮市の町名大正14年の世帯29・人口177明治以来市街地のほぼ中心部に位置し,中央繁華街の一画としてにぎわいをみせている町内には明治天皇が東北巡幸の際に滞在した,行在所向明館跡が史跡としてある昭和49年馬場通り1~2丁目・曲師【まげし】町となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7279809