鍋掛(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ鍋掛村,昭和30年黒磯町,同45年からは黒磯市の大字。明治24年の戸数98・人口647(男320・女327),学校1,水車場3。同39年鍋掛尋常高等小学校設置。明治26年石丸農場のうち約150町歩が旧佐賀藩主で侯爵の鍋島直大に譲渡された。鍋島はのちに野間地区を主とする深川農場の大部分も譲り受け,総面積383町歩の鍋島農場となった。同農場は昭和16年に小作地を解放し,残地もすべて売却して解体した(黒磯市誌)。同22年鍋掛中学校が開校したが,同52年に地区の西部に移転し,日新中学校と改称された。第2次大戦後,地下水揚水による開田が急増し,水田地帯となった。昭和51年国道4号黒磯バイパスが西部に開通した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7280083 |





