東川田村(近世)

江戸期~明治22年の村名。河内郡のうち。宇都宮藩領。村高は,「慶安郷帳」948石余(田824石余・畑124石余),「元禄郷帳」1,073石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,078石余。「改革組合村」では鶴田村組合寄場に属し,家数40。助郷は日光街道雀宮宿に出役し,天保元年の勤高880石(宇都宮市史)。明和2年には加助郷145石となり勤高1,025石となった(同前)。文化4年には雀宮宿助郷村々に潰百姓が増加し,正人馬を出すことができず,高100石につき3両ずつを出して雀宮宿で人馬を雇うことにしている(同前)。用水は田川からの引水による川田用水と香取・登戸用水によった。御用川の末流も利用して,御用川水組23か村のうち。幕末期の農間商人取調(宇都宮市史)によると,名主斧吉は天保5年から酒造業をはじめ,鑑札高30石で文政10年には冥加永225文を納めた。また斧吉は文政元年から質取渡世もはじめ,1か年平均金140両・銭7貫文余をとっていた。斧吉の田畑所持高は84石,家内23人という豪農であった。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。明治5年の反別128町余・高987石余,うち田82町余・高857石余,畑29町3反余・高102石余,屋敷4町2反余・高28石余。貢租は田米100石・畑屋敷永735貫余。明治8年の戸数60・人口305(男139・女166),牡馬40。同17年には荷車3・人力車3。物産は米790石余・大麦105石余・小麦81石余・実綿125貫・胡麻12石・干瓢870貫・小豆13石。村民は農業に従事するが,酒造1・大工職2。字明神田に高龗神を祀る高龗神社があり,全村民が氏子となる。字本郷には真言宗新義派の東滝山大日寺千手院がある。宇都宮の寺町生福寺の末。明治6年上横田訓蒙学校の支校が千手院を仮校舎として開校し,生徒数は男20・女15で,教員1・校掌1を置いた(地誌編輯材料取調書)。村内の中央部を上三川【かみのかわ】街道(現主要地方道宇都宮結城線)が通っている。明治22年横川村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7280440 |





