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藤田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。那須郡のうち。はじめ烏山藩領,のち旗本榊原氏・下島氏・小林氏・花房氏の相給。なお,「慶安郷帳」では烏山藩領,「元禄郷帳」では幕府,旗本榊原氏・下島氏・小林氏・福島氏の相給,「改革組合村」では旗本榊原氏・下島氏・小林氏・花房氏の相給,「旧高旧領」では幕府(173石余),旗本榊原氏・下島氏・小林氏・花房氏(各氏領ともに174石余)の相給。村高は,「慶安郷帳」788石余(田316石余・畑472石余),「元禄郷帳」870石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに869石余。「改革組合村」では金枝村組合寄場に属し,天保年間の家数44。神社には,武甕槌神を祀る鹿島神社があり,祭りは,10月15目(例祭・秋祭)・2月28日(祈年祭・春祭)・6月15日(夏祭・天王祭),寛永12年9月28日常陸国鹿島本宮から遷座したものである。寺院は,不動明王を本尊とする新義真言宗藤田山藤田院真福寺がある。寛永6年3月21日弘清法印によって創建された。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。同15年真福寺を仮用して三箇小学校藤田分校が創立し,同16年藤田学校と改称して独立した。同20年熊田小学校藤田分教室となる。明治22年下江川村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7280613