池端(近代)
明治22年~昭和30年の清里村の大字名。西部三国街道沿いに一本松の地名がある。江戸期から昭和初期まで遠方から見える大きな松の木があり,三国街道の旅人の目印になっていた。明治24年の戸数61,人口は男194・女196。畑は桑畑が主で養蚕が盛んで,座繰製糸により絹太織の織物を生産していた。同26年地内の斎藤幸吉は群馬製糸会社原組を創立し組長となる。同32年甘楽社に合併,甘楽社清里組と改称。昭和30年前橋市の町名となる。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7281469 |