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大胡藩(近世)


江戸期の藩名勢多郡大胡に居城を構えた譜代小藩天正18年徳川家康の関東入部に伴い牧野康成が2万石を与えられて大胡城に入城し,当藩が成立した慶長5年関ケ原の戦にあたり,康成は中山道を進む徳川秀忠軍に加わって信濃国上田城攻撃に参戦したが,軍令に背いたため上野【こうずけ】国吾妻【あがつま】の砦(白井城)に謹慎した康成は大胡帰城後も多病のため,同9年から子の忠成が代わって政務をとり,同14年襲封した元和2年忠成は大坂冬・夏両陣の功により越後国長嶺5万石へ加転され,当藩は廃藩となったなお藩領は,のちの前橋藩領下で大胡東領・同西領と呼ばれた地域,赤城山南麓の勢多郡内50か村ほどと思われるが,未詳また大胡城は,中世末期には大胡氏の居城で,3万6,570坪の城地に本丸・二之丸・三之曲輪・四之曲輪・越中曲輪などを配し,城の西側には2万5,630坪に及ぶ侍屋敷,南側には城下町が形成された家臣団は,越後移封時に士分203人・足軽以下600人ほどで,家老職7人が7組に編成して統制していた




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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