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乙母(近代)


 明治22年~現在の上野村の大字名。寺や民家を借用していた上野村役場は昭和46年川和に建設された村民会館に移転。同年までの村行政の中心地であった。明治24年の戸数30,人口は男95・女96,学校1。世帯数・人口は,昭和30年50・275,同50年40・145。同60年国道299号の新しい道路が父母トンネルへ入り,乙父へつながって開通するようになり,地内の旧道を通過する車は定期バスなど,限られた車だけになり,過疎化が進む。対岸の川和地区との関係が強く,消防団の分団は乙母・川和の2地区で組織されている。昭和60年8月の日航機墜落事故では,対岸の総合グラウンドがヘリポートになり地内の旅館・民宿などは日航や報道関係者の宿泊地となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7282031