女屋村(近世)

江戸期~明治22年の村名。勢多郡のうち。前橋藩領。村高は,「寛文郷帳」で442石余うち田方254石余・畑方188石余,「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」506石余,「旧高旧領」も同高。天明2年の反別は田14町7反余・畑12町6反余,家数44・人数151(前橋藩領村々明細/井田家文書)。寺子屋は明治6年まで医師静斎が開いていた(勢多郡誌)。神社は諏訪神社・熊野神社。寺院は天台宗万福寺で,寛永2年僧空全の創建という。明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県南勢多郡に所属。同22年木瀬村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7282039 |