100辞書・辞典一括検索

JLogos

16

木部村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。緑野郡のうち。はじめ旗本諏訪氏・志賀氏・久保氏の3給,元禄11年吉井藩領と旗本伊東氏の2給,享保19年から吉井藩領と旗本の両伊藤氏の3給となる。村高は,「寛文郷帳」で1,016石余うち田方634石余・畑方382石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」とも1,125石余,「旧高旧領」で1,122石余。なお慶安2年の上州七郡村々石高写(多野藤岡地方史)では村高1,016石余。助郷は江戸期を通じ中山道倉賀野宿へ出役,定助郷15か村の1つとなっていた。古来鏑川の乱流による水害に悩まされ,また旱魃にも悩まされた。神社は八幡社,祭神は応神天皇,祭日は9月9日。寺院は心洞寺と安楽寺。心洞寺は字田沼にあり,曹洞宗竜谷山金清院と号し,本尊は釈迦如来。天正年間に木部駿河守の懇請により山名村の金清寺平から移したものと伝える。文政年間に堂宇焼失,山門は元文5年建立のものという(多野郡誌)。「旧高旧領」による寺領10石余。なお「多野郡誌」では15石余と見える。安楽寺は字勝羽にあり,真言宗山名山と号す。もと山名村字山ノ上にあった山名氏の菩提寺をのちに現在地に移したものという。「旧高旧領」による寺領10石。なお字新宿【あらじゆく】の観音堂は安楽寺持ちで,墓地に「お染久松」のお染の墓と称するものがあり,耳疾に効があるとして参詣する者がいるという(同前)。幕末の改革組合村高帳では,倉賀野宿寄場組合に属し,寺領を除き高1,104石余,家数86。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。明治7年山名村と連合して八幡小学校を開校,当村安楽寺と山名村光台寺を隔年で校舎にあてた(高崎市教育史)。同22年八幡村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7282525