下之宮(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ芝根村,昭和30年からは玉村町の大字。明治24年の戸数62,人口は男175・女176,船4。同43年の利根川大洪水の後,大正5年内務省築堤工事が完成したが,昭和22年のカスリーン台風では再び大被害を受けた。明治28年芝根農会の創立とともにその配下に入り,大正11年実行組合が中心となって米・麦・養蚕の振興を図った。昭和10~11年整地整理事業が実施され,第1次4町余・第2次6町余,合計費用1万900円・補助金4,600円で竣工した。同49~50年県営玉村町中部土地改良事業が実施され,耕地を縦横に舗装道路が通じるようになった。同56年には米転作協同組合を組織し,国の補償のほかに共補償として町内耕作農家から転作農家への補償制度を定め,大豆・麦・ネギ種子・グラジオラスの転作に成功した。明治25年五料小学校が芝根小学校と改称され,第2次大戦後再び芝根小学校となる。昭和22年芝根中学校が開校したが,同30年玉村中学校に統合された。大正期から昭和初期は伊勢崎銘仙の賃機織りによる収入により婦人は家計を助けたが,戦後は織物不振により衰退し,勤めに出る人が多くなった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7283136 |





