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連取村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。那波郡のうち。旗本駒井氏領。村高は,「寛文郷帳」で913石余うち田方578石余・畑方335石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。検地は元和4年。元和4年の検地帳(森村家文書)による反別は125町9反余,うち田38町5反余・畑81町9反余・屋敷5町4反余,屋敷所持者115人。文久4年では田方45町2反・畑方142町7反余(長谷川家文書)。元和5年の村絵図(石川家文書/伊勢崎の村絵図)によると,寺院は宝幢院・竹芳寺・華蔵院・宝蔵院・明王院・光福寺のほか重林寺・物毛の薬師・杉薬師・ドウノ前薬師・花御堂など,神社は天神2社・飯玉2社・愛宕・八郎権現などが記載されている。村内は上・中・下の3組に分かれ,上組が上ノ飯玉大明神,中組・下組が下ノ飯玉大明神を鎮守とした。人数は,元治元年の五人組帳(森村家文書)によると,上組290人(男152・女138),中組261人(男141・女120),下組196人(男109・女87)。なお寛永15年には伊勢崎町との間で境争論が発生。また明治元年には真宗勝念寺を創建している。幕末の改革組合村高帳では,伊勢崎町寄場組合に属し,高913石余,家数155。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。明治7年連取学校が宝幢院と光福寺を仮校舎として開校,同15年校舎を新築。同22年宮郷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283616