100辞書・辞典一括検索

JLogos

29

富沢村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。新田郡のうち。はじめ館林藩領,寛永20年幕府領,寛文元年再び館林藩領,元和元年旗本本多氏領,元治元年本多氏は大名となり,三河西端藩領。村高は,「寛文郷帳」で425石余うち田方298石余・畑方127石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに428石余,「旧高旧領」425石余。天保11年の御定目五人組改帳(大隅家文書/太田市史史料編近世1)によると,人数94うち男45・女49。嘉永5年の人別改帳(同前)では家数25,人数93うち男47・女46,馬9。寺は村の南東の真言宗正福寺,村社は生品神社。小学校ははじめ牛沢村成願寺を仮用してそこへ通学したが,明治23年当村に沢野尋常小学校が新築され,沢野村の文教の中心となる。幕末の改革組合村高帳によれば,太田町寄場組合に属し,高428石余,家数16。明治4年西端県,栃木県を経て,同9年群馬県に所属。明治4年の人別帳(同前)では戸数22,人数117うち男60・女57。同22年沢野村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283713