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豊岡村(近世)


 江戸期の村名。碓氷郡のうち。天正18年禰津信政・吉直父子が1万石を与えられて入封,豊岡藩領となるが,寛永2年禰津氏は無嗣子断絶に処され,同3年幕府領,元禄11年から高崎藩領となる。村高は,「寛文郷帳」で2,000石うち田方1,375石余・畑方624石余,「元禄郷帳」2,162石余,「天保郷帳」も同高。「旧高旧領」では上豊岡村・中豊岡村・下豊岡村に分けて記される。ただし3か村への分村は早く,延宝4年にまず上豊岡村が成立,翌5年残る豊岡村が2か村に分かれて中豊岡村と下豊岡村になったという。天文21年防村新左衛門開基の天台宗薬王寺,慶長元年禰津松鴎軒心源常安開基の曹洞宗常安寺,同3年禰津吉直の家老中村下野守開基の曹洞宗宗伝寺があり,豊岡の3か寺と呼んだ。江戸期烏川・碓氷両川のたびたびの増水氾濫による田畑の被害は甚大で,その都度年貢の軽減や救米の支給を高崎藩主に請願した(梁瀬家文書)。また豊岡村は高崎宿への助郷を勤め,特に寛政年間の伝馬の割当は馬40疋余・人足40人余と高率に定められ,しかも1か月の夫役回数は平均10~20日に及び,農民は田畑を耕作する間もなく生活が極度に困窮,ために夫役の軽減を藩主に訴えるという状況であった(同前)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283729