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中豊岡村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。碓氷【うすい】郡のうち。はじめ幕府領,元禄11年から高崎藩領。延宝5年上豊岡村分村後の豊岡村が中豊岡村と下豊岡村に分かれて成立。ただし「元禄郷帳」「天保郷帳」では3か村合わせて豊岡村と記される。「旧高旧領」で村名が見え,高559石余。なお元禄15年の検地による反別は,屋敷3町1反余,田17町5反余・畑17町4反余・萩畑2反余。村の中央部を中山道が走り,交通が便利なところから比較的早くに人家が密集するようになり,上宿・中宿・下宿などの字名が生まれた。用水は板鼻堰の用水堀を使用する。幕末の改革組合村高帳では,高崎宿寄場組合に属し,高559石余,家数75。明治4年高崎県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同11年上豊岡村・下豊岡村と連合の戸長役場を村内に設置。明治17年中央部を信越本線が通る。同22年豊岡村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283835