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原町(近代)


 明治22年~昭和31年の吾妻郡の自治体名。原町と川戸・金井の2か村が合併して成立。旧町村名を継承した3大字を編成。役場を原町に設置。明治24年の戸数554,人口は男1,432・女1,420,学校2・水車場14。世帯数・人口は,大正9年707・3,400,昭和10年750・3,614,同30年1,109・5,531。当町は商業市街地の原町,農村地区の川戸・金井という異質な地同志の合併で,さらに地勢的にも吾妻川で隔てられていたため,明治38年原町へ合併廃止願いが出されたが,のち解決した。大正11年71馬力で町営深沢発電所が開業されたが,全町の点灯は不可能で,泉沢発電所などの補給を得た。同13年の米生産は1,455石余・不足分1,412石余。昭和元年の耕作地は田91町余・畑282町余うち小作は田54町余・畑142町余(吾妻郡誌)。同2年群馬自動車のバスが渋川-原町-中之条間,中之条-原町-大戸間で運行を開始した。同10年省営(現JR)バスが吾妻線の営業を開始した。第2次大戦中群馬鉄山の鉱石緊急輸送のため,渋川~太子【おおし】間48.1kmが約2年の突貫工事で完成し,同20年国鉄長野原線(現JR吾妻線)として営業を開始した。同線は当初は貨物線であったが,郡民の熱望で客車も連結して運転された。同12年松谷発電所の用水尻を約8kmのトンネルで引水して原町発電所が完成した。同19年東京の学童が善導寺など4か所に疎開し,同20年には原町小学校に朝霞の陸軍士官学校の一部,吾妻高等女学校に川崎の軍需工場不二家電機工業がそれぞれ疎開した(原町誌)。同24年原町自治警察署(現吾妻警察署)・日本赤十字社原町診療所(現原町赤十字病院)が開設された。同30年太田・岩島・坂上の3か村が合併し,合併各村の15大字を加え18大字を編成。同年の世帯数4,189・人口2万2,423。同年吾妻郡町村伝染病院完成。同31年吾妻町と改称し,18大字は同町の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7284248