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嶺村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。勢多郡のうち。前橋藩領。村高は,「寛文郷帳」で314石余うち田方244石余・畑方69石余,「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」449石余,「旧高旧領」も同高。天保11年の銘細帳では高415石余,この反別は,同12年の五人組御改附寺々人別帳で田方30町余・畑方42町余の合計72町余とあり,耕地面積では畑が多い(勢多郡誌)。また先の天保11年の銘細帳では,村役人は名主1人・組頭5人,人数450,家数120,馬数40,畑には麦・大豆・小豆・角豆・稗・蕪・大根などを産し,養蚕も少々行われ,繭のまま前橋へ出荷している。また田肥には草木の葉・干鰯・粉糠を用い,農間余業として男が馬草・薪取り,女は木綿布を織っている。明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県南勢多郡に所属。「郡村誌」によれば,税地は田41町7反余・畑40町1反余・宅地11町余・林地140町3反余,物産は米・大麦・小麦・大豆・小豆・蕎麦・粱・稗・大根・芋などで,繭は1,020貫目,民業は,男が農桑業94戸,女子が養蚕・製糸に従事する者258人,このうち牛馬牧業6戸などとある。なお「郡村誌」によれば,明治8年赤城山中箕輪を合併とあり,同所についてはさらに,村の北方12kmの原野に箕輪の牧があり,牛100頭・馬150頭を飼育と記される。大胡【おおご】道が東西に,また南へ前橋道が通り,字天沼に公立小学校があり,「郡村誌」による生徒数男87・女64。神社は諏訪神社・大山祇神社・八幡神社・若宮八幡宮。同21年の「名称区域」では,田41町7反余・畑42町余・宅地11町5反余・山林154町4反余など,戸数103・人口675。同22年芳賀村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7284708