100辞書・辞典一括検索

JLogos

41

本宿村(近世)


 江戸期~明治6年の村名。山田郡のうち。もとは荒戸村のうちで,「寛文郷帳」「元禄郷帳」では荒戸村一村として記される。「上野国志」では「堤・本宿・村松・今泉ナト云小名アリ」と見え,荒戸村の小名であったが,それぞれはやくから独立村として機能していた。文政7年の「諸聞書」では本宿村と記され,「天保郷帳」にも村名が見えることから,江戸後期には正式に荒戸村から分かれたと考えられる。はじめ幕府領,寛文元年館林藩領,天和2年旗本渡辺氏領を経て,元禄14年からは旗本渡辺2氏の相給となる。寛文12年の検地。村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに392石余。文政7年の家数30・人数100,納辻米250俵・永36貫文(諸聞書)。真言宗聖眼寺がある。名主は金井・関口・新居の諸家で勤めた。西端を流れる渡良瀬川には下新田村へ至る赤岩渡しがあった。この渡津は桐生新町への穀場渡しであったため,管理をめぐって何回も渡船難渋紛争が起こった。万延元年の桐生・大間々・花輪・阿佐美・大原・藪塚・鹿田・前橋など19か村と当村との紛争では,桐生側の勝訴となり,のち桐生新町が関係町村の親郷として管理するようになった。幕末の改革組合村高帳では桐生新町寄場組合に属し,高375石,家数15。明治元年岩鼻県を経て,同6年栃木県に所属。同年安楽土【あらと】村の一部となる。現在の桐生市元宿町・巴町2丁目・宮前町1~2丁目。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7284804