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膝折村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。新座郡野方領のうち。古くは江戸領に属したというが不詳。はじめほとんどは旗本佐野氏の知行地,残りは幕府領,のち全村幕府領。村高は「田園簿」で373石,うち田77石余・畑295石余。野銭鐚17貫文。「元禄郷帳」では380石余,「天保郷帳」では397石余。「旧高旧領」では459石余。享保16年広沢原新田検地でその一部を割付され,同19年には膝折新田の検地があった。村の規模は東西1里・南北12,3町。化政期の家数100余軒。村内に川越街道の馬継宿である膝折宿がある。鎮守は子の神の氷川社。現在の建物は明暦年間のもので,境内には樹齢400~500年の杉の大木がある。新義真言宗一乗院は高麗氏の開基と伝えるが未詳。脚籠(俗に「かっけ」という)の産地。化政期前後には黒目川を利用して水車製粉を営む者が現れた。そのうち奥住金兵衛は文化13年に京都から技術者を招いて伸銅業を創業,次いで徳生平左衛門が文政3年に創業。関東初の二大伸銅工場として,水車による銅線・桶のたがを主に生産,明治初期には日本最初の電話線がつくられたという(伸銅工業史)。明治8年膝折新田・下新田を合併。同9年埼玉県に所属。同12年新座郡に所属。明治9年の戸数147・人口795,馬8,荷車35・人力車6,4社1寺。膝折小学校を明治8年一乗院に開校,児童数75。村の中央に取扱人宅を仮用して郵便局を設置。特産に銅線があり,伸銅業を営む者5戸。水車(製粉・製油)を営む者12戸。同22年膝折村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7289775