藤久保村(近世)

江戸期~明治22年の村名。入間【いるま】郡河越【かわごえ】領のうち。古くは武蔵野郷仙波荘に属したという。正保年間から元禄年間の立村という。川越藩領。検地は延宝3年・元禄7年。村高は「元禄郷帳」で140石余,以後新田開発が進み「天保郷帳」では667石余と激増。村の規模は東西13町・南北16町余。高札場は村の中央に1か所。水田はなく畑地のみ。村内を新座【にいくら】郡大井に至る川越街道が通る。神社は稲荷社と浅間社。寺院は曹洞宗大栄山広源寺・本山派修験木宮山東乗院。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数87・人口556,馬3。広源寺に公立小学校があり,生徒数78。物産は米・麦・鶏・卵・大豆・インゲン豆・サツマイモ・サトイモ・ジャガイモ・繭・藍葉など。明治12年入間郡に所属。同22年三芳村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7290008 |





