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古大滝村(近世)


江戸期~明治10年の村名県西端秩父【ちちぶ】郡のうち古くは武光【たけみつ】荘または滝石荘に属したという江戸初期の大滝村が,正保年間に新大滝村を分村,のち元禄年間以前に改称して成立郡の西端,信濃および甲斐【かい】との国境の山地に位置する荒川本流に沿った広大な御用林,甲斐方面への街道,金・銀山があることから,江戸期を通じて幕府領村高は「田園簿」で201石余,「元禄郷張」で197石余村内は荒川に沿って大達原・岡本・大久保・下納【さげな】・上中尾・栃本【とちもと】の6組に分かれていた山頂や中腹で焼畑耕作をしたが,収穫が少なく食糧にもこと欠いたこのため幕府の救済を受け,農間には御用林山続きの1里半ばかりの稼山で,挽板・桶木・鞘木・鍛冶炭を製造して売り出し,生活の糧とした広大な御用林から伐り出された材木を荒川に流し,贄川【にえがわ】(現荒川村)で筏組みして江戸へ送った甲斐方面への秩父往還取締まりのため,栃本に関所が設けられていた寛永20年,下納組に加番所麻生関が設けられ,栃本関の警備の手薄を補った元禄2年の家数208・人口861(うち男437・女408・出家16)化政期の家数は172軒,高札場は大達原・下納・栃本の3か所で,大達原の高札場は現存荒川の支流滝川・大洞川・大血川が北流し,架橋は8か所を数えた村の鎮守は各組にあり,妙見諏訪両者相殿(大達原)・熊野諏訪両社相殿(岡本)・妙見社(大久保)・妙見社(栃本),ほか神社は大小23社を数えた大達原組大輪の妙見社には天正7年の年紀銘のある棟札がある大達原の多宮某の家の後ろにある塚八幡社は平将門の伝説を伝える寺院は平将門の開基と伝え,中興開山は応永年間南岩天場の臨済宗大通山円通寺,ほか臨済宗の南峯山正輪寺・東川院・霊仙院・井福寺,曹洞宗の薬王山東林寺・三峰山梅林寺・石水寺・西光寺など多数があった本山派修験の道場も観行院以下3院を数えた名主家は大村姓の大助宅で,もと甲斐武田家の臣と伝え,名主を世襲し,栃本関を預かり,御用林の管理を行った現在も同家が栃本関跡の管理をし,関所関係の古文書を伝来麻生関は千島家が番をつとめ,同じく古文書を伝来栃本関・麻生関は明治元年廃止された同年,三峰【みつみね】山の三峰神社領域を三峰村として分村同9年埼玉県に所属同年の戸数165・人口866,牛1・馬45物産は繭・生糸・材木・キリなど同10年新大滝村と合併し,秩父郡大滝村となる現在の大滝村大字大滝の南部→新大滝村




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7290078