三室村(近世)

江戸期~明治22年の村名。足立郡木崎【きざき】領のうち。天正19年9月1日の検地帳に「足立郡柴岡郷内三室村」と見える(氷川女体神社旧神主文書)。幕府領。検地は元禄3年・享保16年(武笠文書)。村高は「田園簿」で826石余,うち田373石余・畑453石余,ほかに氷川大明神領50石,「元禄郷帳」で1,016石余,「天保郷帳」で1,022石余。村の規模は東西1里余・南北14町余。化政期の家数200軒余。助郷は中山道浦和宿へ出役。紀伊徳川家の御鷹場支配を受けた。村の北を見沼代用水が通り,河岸場があった。村内は山崎・宿・松ノ木・芝原・馬場の5組に分かれ,各組に名主がいて村のようになっていた。また各組はそれぞれ見沼新田のなかに新田をもっていたが,天保年間頃三室新田として分村。持添新田の宮本新田を化政期頃分村。享保10年の村鑑帳によれば,当時の家数182軒・人口903人で,村内に多数の悪水落堀があったこと,散在野銭永229文と村内の松の植林地には山銭14貫文余がかけられたこと,また年貢米が下戸田村(現戸田市)の荒川河岸にあった津出し場から江戸へ運ばれたことがわかる(村明細帳集成)。神社は氷川女体神社・神明社・諏訪明神社・熊野権現社など。氷川女体神社は崇神天皇の頃に創建と伝える武蔵国有数の古社で,また天正19年11月徳川家康から50石の社領を寄進された(同神社文書)。本殿は寛文7年徳川家綱が再興(同神社所蔵棟札銘)。神明社は文禄2年荒川次郎九郎康隆によって起立と伝え,慶安2年からは社領10石が付された。寺院は新義真言宗宝蔵院,天台宗法恩寺・文殊寺など。文殊寺は氷川女体神社の別当寺。高札場は村の西部。小名は山崎・宿・松ノ木・芝原・馬場・於福堂・御室・牛ケ窪・オフグネ耕地・鬼子宮耕地など。明治4年埼玉県に所属。明治6年東漸寺を仮用し三室学校開設。生徒数男12・女25。同7年宮本新田・三室新田を合併。同9年の戸数267・人口1,575,馬65,荷舟5,荷車32。物産は米・大麦・小麦・甘藷など。明治12年北足立郡に所属。同22年三室村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7290523 |





