葛飾郡

当郡は江戸初期再編。寛永年間新たに江戸川が開削されたのちは江戸川を境に西は武蔵国葛飾郡とされ,さらに郡域は変動を経て元禄年間までに確定したと思われる。天正18年徳川家康は当郡古河(現茨城県)に3万石で小笠原秀政,山崎に1万2,000石で岡部長盛,関宿に4万石で松平(久松)康元を配し,これらはのち古河藩・山崎藩(慶長14年廃藩)・関宿藩となる。そのほか慶長年間栗原藩が成立したが,寛永15年廃藩,元禄元年には舟戸藩が成立したが,同16年廃藩となる。村数・石高は,「元禄郷帳」309か村・9万7,626石余,「天保郷帳」340か村・12万1,576石余,「旧高旧領」340か村・12万4,316石余。郡内の諸藩領は,「寛文朱印留」では古河藩31か村・7,929石余,関宿藩23か村・5,809石余,佐倉藩18か村・970石余,大輪藩1か村・765石余,生実【おゆみ】藩18か村・7,000石,佐貫藩2か村・380石,武蔵岩槻藩15か村・3,942石余,下野皆川藩7か村・1,084石余,三河中島藩2か村・808石余,「旧高旧領」では関宿藩30か村・7,975石余,古河藩27か村・9,557石余,岩槻藩2か村・312石余,下野壬生藩1か村・186石余,一橋家領5か村・803石余,駿河田中藩32か村・1万2,223石余。これら諸藩領のほか当郡では幕府領・旗本領・与力給知が混在し,その占める割合も高い。郡内中部を水戸街道が通る。承応3年江戸湾に流れる利根川は東遷工事によって流路がかわり,銚子に注ぐようになった。元禄15年の検地によると,行徳塩の塩浜は16か村・反別191町7反余。行徳塩業は江戸前期から中期には瀬戸内海地方の十州塩に圧迫されて停滞・衰退していった(市川市史2)。郡内には千葉・印旛【いんば】郡にまたがる小金牧があり,金ケ作陣屋の幕府代官と小金の野馬奉行綿貫夏右衛門の管理下に置かれた。戊辰戦争では,市川・船橋が激戦場となり,流山では元新撰組隊長近藤勇が捕らえられるなど騒然とした。廃藩置県を経て明治4年11月印旛県,同6年からは千葉県に所属。明治初年から政府の殖産興業策として小金牧内の各牧は東京府下からの移民による開発が実施された。管轄替えにより当郡のうち3町48か村は茨城県,中川・江戸川間の43か村は埼玉県に編入され,明治11年の郡区町村編制法施行時に西葛飾郡・中葛飾郡・東葛飾郡の3郡に分割された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7292662 |





