上飯野村(近世)

江戸期~明治22年の村名。上総国周淮【すす】郡のうち。江戸中期以降飯野村が分村して成立。飯野藩領。村高は,「上総国村高帳」661石余,「天保郷帳」では下飯野村とともに1,380石余,「旧高旧領」661石余。「上総国村高帳」では家数85。天保4年村内で博奕をした2人が捕縛され,名主治右衛門と年寄が連名で「御免願」を出している(庄司家文書/富津市史史料集1)。同6年には,当村困窮を理由に名主・年寄・百姓代連名で65両余を拝借した(同前)。文久4年には,夜盗・押込などの悪党に対処するため,村番警固について話し合いがなされた(小組七ケ村議定書/小沢家文書)。幕末には安泰寺住職が寺子屋を開いていた(県教育史巻1)。明治6年千葉県に所属。神社は八坂神社。寺院は曹洞宗東照寺・安泰寺,真言宗大福寺。同7年上飯野学校設立(市立飯野小学校沿革)。同8年の教員数1,生徒数男27・女5(文部省第3年報)。同18年の反別154町7反余(上総国町村誌)。明治22年飯野村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7292785 |