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埴生郡①


中世末期~近世初頭には,古代の埴生郡域に成立した埴生荘・遠山方御厨(近世の遠山荘)は香取郡に含まれたが,江戸前期までにこれらの地域と大須賀保西部などを合して当郡が再編・再置された。村数・石高は,「元禄郷帳」59か村・2万4,309石余,「天保郷帳」63か村・2万5,750石余,「旧高旧領」63か村・2万5,787石余。郡内に藩庁が設置されることなく,「寛文朱印留」では佐倉藩領33か村・9,231石余,三河中島藩領1か村・203石余が見え,「旧高旧領」では佐倉藩領26か村・8,936石余,田安領16か村・5,993石余,淀藩領14か村・9,115石余,出羽長瀞藩領1か村・200石があり,これら諸藩領のほか幕府領・旗本領・与力給知が混在し,その占める割合は高い。承応年間(一説に正保年間)に佐倉藩の圧政に苦しむ農民を代表して公津村の惣五郎が将軍に直訴に及んだという義民伝承が残っている。成田村の成田山新勝寺は,江戸での出開帳や成田屋の屋号をもつ市川団十郎の芝居などにより信仰を集め,参詣の人々でにぎわった。廃藩置県を経て明治4年11月には印旛県,同6年からは千葉県に所属。県内に同名郡が存在するため,明治11年郡区町村編制法施行後,下埴生郡と改称した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7295971