布施村(近世)

江戸期~明治22年の村名。相馬郡のうち。「旧高旧領」では幕府・田中藩の相給。村高は,「元禄郷帳」451石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに765石余。検地は天正20年。元禄15年の検地では,田52町6反余,畑・屋敷50町6反余。家数・人数は,元禄15年157・909,文化6年197・897。利根川の対岸戸頭(現茨城県)との間に渡船があり,七里ケ渡しと称し,元和2年定船場に指定された。当地から七里ケ渡しを経て戸頭への通路は水戸街道脇往還にも当たり,谷田部藩などの諸藩の通路としても利用された。また,村内には元和元年江戸川筋への諸荷物付越にはじまるという河岸場があり(後藤家文書),河岸問屋4軒があって下総・常陸・南部(陸奥国)方面の荷物のほか蝦夷荷物をも取り扱ったこともある。助郷は水戸街道我孫子宿へ出役。神社は香取神社。寺院は真言宗東海寺・円性寺,時宗善照寺,浄土宗南竜寺。東に弁財天社があり,布施弁天東海寺と称され,縁起では大同2年開創と伝えるが,後藤家文書によると延宝2年当村の又右衛門が小社を祀ったことが見えている。同社は江戸期には江戸の町人や二郷半領からの参詣が多く,東海寺は宝永2年同社境内に移った。明治6年千葉県に所属。同11年南相馬郡に編入。明治6年の家数221・人数1,435。同年南竜寺に天神学校を開校,教員数1・生徒数32,のち布施小学校と改称。明治22年富勢村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7296294 |





