本納村(近世)

江戸期~明治22年の村名。上総国長柄郡のうち。「上総国村高帳」では幕府,旗本島田氏・花房氏・永田氏・堀氏・富永氏・小栗氏・筑紫氏,与力給地の相給,「旧高旧領」では幕府,与力給地のほか,旗本は上記のほか松平氏の相給。なお「旧高旧領」では蓮福寺領が見える。村高は,文禄3年「石高覚帳」2,800石,「元禄郷帳」2,859石余,「天保郷帳」2,908石余,「旧高旧領」2,902石余。「上総国村高帳」では家数355。慶長11年大久保治右衛門によって1・6の日の六斎市が開かれ,内房からの塩や農具類・日用雑貨を道端に並べた(店舗の発達などにより明治後期~大正初期に衰退)。荻生徂徠は14~25歳の間当地で生活しており,徂徠の母の墓もある。神社は延喜式内社の橘神社のほか14社。寺院は日蓮宗蓮福寺・妙蔵寺・竜教寺・道栄寺。明治6年千葉県に所属。明治初期には一時期本納駅と称したこともあったが,明治14年本納村と復称。明治8年本納郵便局が開局。同18年の反別373町余(上総国町村誌)。明治22年帆丘町の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7296562 |