鉄砲洲(近世)

江戸期の地名銕炮洲・鉄炮洲とも書く(備考・江戸名所)隅田【すみだ】川河口西岸,佃【つくだ】島の対岸に位置する現在は湊【みなと】・明石【あかし】町となっている「備考」に「築地【つきじ】の海寄の方なり寛永の頃井上・稲富の両家大筒の町見を試し所なり(中略)それによりてかく地の名とせしとぞ此地は南北凡八丁ありという」と見え,また「江戸名所」には「この出洲の形状,その器(鉄砲)に似たる故の号なりともいえり」とある明暦年間以降洲は埋め立てられ,本湊【ほんみなと】町・船松【ふなまつ】町・十軒【じつけん】町・明石町が起立された地名は現在鉄砲洲稲荷・鉄砲洲小学校などとして残る

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7300321 |





