100辞書・辞典一括検索

JLogos

23

飯山村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。愛甲郡のうち。寛永10年旗本塚原氏・榊原氏・夏目氏・依田氏知行,元禄10年旗本塚原氏・榊原氏・夏目氏知行と幕府領,幕末には旗本前田氏・長沢氏・建部氏・堀氏・藤沢氏・山田氏知行と下野烏山藩領。「元禄郷帳」では上飯山村・下飯山村と見える。村高は,寛文年間の三郡高帳(県史資6)では先高1,000石余・今高1,475石余,「元禄郷帳」では上飯山村815石余・下飯山村875石余,「天保郷帳」2,077石余,「旧高旧領」2,031石余うち前田氏知行529石余・長沢氏知行364石余・建部氏知行529石余・堀氏知行196石余・藤沢氏知行165石余・山田氏知行132石余・烏山藩領36石余・竜蔵院領2石・長谷寺領3石・本禅寺領13石余・弘徳寺領29石余・光福寺領19石余・金剛寺領5石・千光寺領5石。検地は元禄12年。天正19年徳川家康寄進状写には,中郡飯山郷飯山観音堂領3石・金剛寺領5石・竜蔵権現社領2石と見える(記略)。「新編相模」によれば,江戸から15里,東西2里許・南北1里程,家数261軒,秣場14町6反6畝余が尼寺原にあり,大山・丹沢の2街道が通る。また用水は小鮎川・恩曽川を利用した。また温水村とともに尼寺原に秣場を有し,永銭を負担した。鎮守は竜蔵権現社,ほかに山王社4社・御岳社3社・稲荷社3社・神明社2社・石神社3社・弁天社・十二天社・五霊社・熊野社・白山社・飯綱社がある。寺院は飯山寺と号す観音堂と曹洞宗金剛寺・浄土真宗池谷山光福寺・同宗弘徳寺・法華宗宝松山本禅寺・古義真言宗千光寺,ほかに弥陀堂・薬師堂・大日堂と地蔵堂2堂がある。渡辺崋山の「游相日記」には,「京師より来し歌よみあり。飯山といふにやとりて,乞ふ人も多かりといふ。名は道観,藤原権介とよふ」とある。旗本知行地は明治元年神奈川府を経て神奈川県,同4年足柄県,同9年からは再び神奈川県に所属。烏山藩領は明治4年烏山県から足柄県を経て,同9年神奈川県に所属。明治7年飯山学校・千頭学校が開校。「皇国地誌」によると,税地反別783町6反3畝余うち田56町6反1畝・畑325町6反余・宅地23町4畝余・山林264町9反1畝余・秣場107町1反余・篁地4町1反3畝余・芝地2町2反2畝余,戸数338・人口1,691,馬38,車2(残稿)。同22年小鮎村の大字となり,飛地は南毛利【みなみもり】村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7302180