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小田原(中世)


 鎌倉期から見える地名。相模国足柄下郡のうち。初見は「金沢文庫古文書」識語編の題未詳の分(不完巻子128‐1)に「本云,保元三年十月廿二日,大法房奉受了 興然,建長元年六月廿九日,於清水寺小田原本堂,以勧修寺大僧都御房御本書写了 覚阿」とあり(金沢文庫古文書12),ついで文永2年8月吉日の銘を有する刀剣の表には「相州小田原住泰春」と刻まれている(小泉久雄氏所蔵/県史資1‐521)。また「権中納言為相卿集」の海道百首歌のうちには,竹下と大磯の間に当地が見え,「作りあへぬ春のあら小田はらひ兼よもきなからに今かへす覧」と詠んでいる(続群16上)。鎌倉後期とみられる某書状(金沢文庫古文書/県史資2‐1431)に,二所詣の「御まいりの人ハ,をたわらと申候にとゝまり候しに候」とあり,当地が箱根や走湯山へ赴く際の宿として利用されていたことがわかる。建武2年の足利尊氏関東下向宿次・合戦注文(国立国会図書館所蔵/同前3上‐3231)では,8月17日の箱根合戦の後,「今夜小田原上山野宿」と見える。「太平記」巻36によれば,康安元年11月,畠山国清が足利氏と敵対して鎌倉から伊豆へ向かったとき,その軍勢300余騎が「小田原ノ宿ニ著タリケル夜」,土肥掃部助主従8騎は「小田原ノ宿ヘ押寄セ,風上ヨリ火ヲ懸テ」切りこんだという(古典大系)。応永5年6月25日に京都に到来した密厳院領関東知行地注文(三宝院文書/県史資3上‐5213)には走湯山領として柳下郷などとともに「小田原寺家方」が見え,当地の一部が走湯山領であったことがわかる。応永12年10月11日の関東管領上杉朝宗奉書案写(集古文書所収走湯山東明寺文書/同前5367)には,「走湯山雷電権現毎日朝講日御供料所相州早河庄内小田原京極局并池上余藤五郎跡」などの下地を,若宮社務僧正弘賢の避状に任せて,大勧進上人雑掌に打ち渡すようにと記されている。当地が早河荘内であったこと,京極局や鎌倉御家人であった池上氏の所領があったことなどがわかる。応永14年3月15日の関東管領上杉憲定奉書(神田孝平氏旧蔵文書/同前5394)によれば,「相模国小田原并関所事」について密厳院雑掌賢成と大勧進との間で争いがあったことがわかる。応永23年の上杉禅秀の乱では,鎌倉から追われた足利持氏は10月6日の黄昏に「小田原の宿」に着いたが,禅秀方の土肥・土屋氏が「小田原の宿へ押寄,風上より火を懸攻入」ったので箱根山へ逃れており,その後幕府軍が当地に陣を取っている(鎌倉大草紙/群書20)。翌年正月,禅秀の自害後,持氏は禅秀一類の没収の地を分給し,大森氏については「土肥土屋が跡を給はり小田原に移り」と見える(同前)。これによれば,大森氏の小田原支配はこのときからはじまったことになろう。永享4年10月14日,足利持氏は鶴岡八幡宮修理要脚として「小田原関所」の3年間の関銭をあてている(鶴岡八幡宮文書/県史資3上‐5878)。永享の乱では同10年9月27日に「小田原并風祭」で合戦があった(足利将軍御内書并奉書留/同前5955)。宝徳4年4月21日,足利成氏は「鶴岡八幡宮両界一切経以下修理料所相模国小田原宿関所」に禁制を出し,違乱狼藉を禁止している(鶴岡八幡宮文書/県史資3下‐6136)。享徳元年10月4日の法印宗俊廻状(小野寺文書/同前6138)には,同月28日に鶴岡八幡宮で関破却の衆会が行われるため8か国の先達・山伏らに触が出され,「於小田原手札於致披見,不参之輩者,可停止道中候」と見える。鶴岡の「香蔵院珎祐記録」長禄5年7月条には「一,自豆州奉行布施下之由申,宿所小田原云々,寺尾其外遁世者等同道云々,大森方所帯可入部之由申,堅申間止了」と見える(神道大系)。長享2年5月16日の大膳亮為茂書状案(伊東文書/県史資3下‐6380)では,伊東九郎祐実が上杉方に属して「小田原・七沢以来度々合戦,被致粉骨候」と見える。明応3年小田原城主の大森氏頼が死去し,同藤頼が家督を継いだが,翌年北条早雲は小田原城を攻め落とした(鎌倉大日記/続大成)。これ以後当地は北条氏の支配下に入り,同氏の相模征服の拠点となるが,永正16年8月に早雲が死ぬまで,北条氏の本城は伊豆の韮山城であり,小田原城を本城としたのは2代氏綱のときであった。永正16年4月28日の菊寿丸宛宗瑞(北条早雲)箱根領注文(箱根神社文書/県史資3下‐6539)には,「はこねりやう所々,菊寿丸知行分」として,「一,四百くわん文 おたハら,六くわん文 同宿のちしせん(地子銭),廿くわん文 同おのおのより出やしきせん」が見え,また久富80貫文は「但これハ小田原やしきのかへにちきやう」とある。しかし「役帳」には当地の名は見えず,当時は北条氏の直轄地であったとみられる。天文20年4月に当地を訪れた南禅寺の僧東嶺智旺はその書状に次のように記している。「越伊豆筥根,至相模府中小田原……従湯本早雲寺而可一里到府中小田原,町小路数万間地無一塵,東南海也,海水達小田原麓也,太守塁喬木森々,高館巨麗,三方有大池焉」(明叔録/大日料10‐7)。これによれば,小田原の町の小路は数万間で塵の1つもなく,三方に大池を配した小田原城は大きくそびえていたことが知られる。智旺はさらに当地から鎌倉に至ったが,その際北条氏から伝馬手形を与えられ,無賃で路次の伝馬を利用することができた(同前)。戦国期に当地が城下町として繁栄していた様子をうかがわせるが,なお「北条記」にも,「津々浦々の町人職人,西国,北国より群来,昔の鎌倉も争か是程あらんやと見る計に見へにける。東は一色より板橋に至迄,其間一里の程に店を張,買売数を尽しけり」とあり,海外の物産も含め多くの商品が交易されたという(続群21上)。当地の町や通りの名としては,今宿町(諸州古文書/県史資3下‐7485),新宿(相文/同前7842),宮前町(三島神社文書/同前8725),柳小路(福住文書/同前7490),後小路(紀伊続風土記附録10/同前8917)などが知られる。この他,北条氏家臣の屋敷があったことに由来する江戸期の小路や町の名として,安斎小路・狩野小路・幸田・山角町・小笠原町・山上横町などがある(新編相模)。また北条氏やその家臣によって建立されたり再興された寺社も多い。北条氏は箱根芦ノ湖畔にあった西光院を松原明神社中に移し,稲荷社を勧請,宇野氏は玉伝寺,安藤氏は誓願寺を創建し,大道寺氏は大蓮寺の中興という(同前)。商職人も来住した。京紺屋津田氏は大森氏頼支配のころの来住というが,ついで北条氏のころは,鋳物師の山田氏,畳刺の弥左衛門,石切の田中氏(板橋に住す),薬の宇野(外郎)氏(板橋に住す),奈良塗師七郎左衛門尉,氏綱大工彦左衛門(快元僧都記/群書25)などが来住している。年未詳2月21日の遠山直景書状(潮田文書/県史資3下‐6562)に「我等儀者,長々小田原ニ在留」と見え,江戸城主の遠山直景が長期間小田原にいたことがわかるが,重臣たちは小田原城下に屋敷をもち,自分の城や所領と小田原との間を頻繁に往来していた(快元僧都記など)。先の智旺の書状にも明らかなように,小田原と領国内各地は伝馬制度によって結ばれ,公用や出陣の際には無賃で伝馬を利用することができた。直轄領からの年貢はもちろん,相模国内や武蔵国の一部から徴収される反銭,懸銭,棟別銭は小田原城内の蔵に納められた(富士浅間神社文書・陶山静彦氏所蔵文書/県史資3下‐6892・6927など)。永禄4年3月,越後の長尾景虎は小田原城を攻めて,城下に放火し引き上げた。永禄4年と推定される近衛前嗣書状(上杉文書/同前7228)に「小田原之地ことことく放火のよし,前代未聞」と見え,永禄6年7月18日の上杉輝虎願文(飯塚八幡神社文書/同前7335)にも,このときのことを「放火相州小田原之地,不残一宇焼払」と記している。ついで永禄12年10月には武田信玄に攻められた。同年と推定される10月4日の北条氏政書状(上杉文書/同前7869)にはその時のことについて,「此度小田原迄敵放火,人数諸城ニ籠置故,早々不及一戦事,無念千万候,今日敵退散之間,明日出馬,於武相之間,無二一戦落着候」とある。武田方は小田原城の蓮池まで攻め入ったが,北条方が籠城策をとって交戦を避けたために,城下に放火をして引きあげている(深沢城矢文/同前8015)。天正17年11月24日,豊臣秀吉は北条左京大夫氏直宛に朱印状を発し,北条氏が上洛せず,真田氏に付した上野国名胡桃城を奪い取るなど,秀吉の命に背いたことを理由に,来年出馬し誅罰を加えることを通告した(北条文書/同前9499)。これをうけて北条氏は12月28日付で陣触を発し(原文書/同前9536),翌18年正月15日に小田原へ来るよう命じている。また村々から人足を集め,城普請をさせている(武文/同前9551)。天正18年ついに豊臣秀吉の攻撃をうけ,同年4月4日の時点で徳川家康その他5万余の軍勢が「自箱根口打入,小田原十町十五町之間ニ陣取」り,さらに熱海口からは堀秀政その他3万余と船手の人数2万が「小田原十町之間ニ陣取」るという状況であった(本願寺文書/同前9654)。このため,籠城3か月余の7月5日,北条氏直はついに秀吉に降伏し(小早川文書・浅野文書/同前9813・9814),ここに戦国大名北条氏は滅亡した。7月7日付の井伊直政書状(浅野文書/同前9815)によれば,「当城(小田原城)之儀,昨日六日ニ榊原式部太輔入申候,今日本城相渡申候由候」とあって,徳川家康の家臣榊原康政が城うけとりに入っている。7月13日,家康は秀吉から相模国をはじめ関東諸国を宛行われたので,この時から当地は家康の支配下に入った。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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