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金谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。相模国三浦郡のうち。江戸初期に公郷【くごう】村から分村したという(新編相模)。正保国絵図には村名が記されず,「元禄郷帳」に公郷村枝郷と傍記されていることから,正保以後元禄年間にかけて成立したと思われる。元禄10年旗本向井氏知行,幕末には幕府領。村高は,「元禄郷帳」180石余,「天保郷帳」にも「公郷村之枝郷」と見え同高,「旧高旧領」でも同高うち大明寺領16石。天正19年の徳川家康寄進状写に「大明寺 相模国三浦郡 久之郷内 拾六石之事」と記す(記略)。「三浦古尋録」に見える家数28軒。「新編相模」によると,江戸から16里,東西17町余・南北4町余,家数30軒余,鎮守は蔵王権現社。祭神は源三位頼政勧請の正八幡大菩薩で,頼政が宇治に敗死した時に遺命をうけた家臣が,金谷の山中に祀ったものであるという。のち太田道灌の子資康が再興。その後太田備中守資守が29体の神像を造営,30番神として蔵王権現に祀ったと伝えている。村内の大明寺は日蓮宗の寺院。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。明治6年大明寺に金谷学舎を設立。「皇国地誌」によると,税地は78町9反余うち田16町5反余・畑9町3反余・山林49町7反余・宅地1町9反余など,戸数35うち農業30・雑業5,人口174,男87・女87,社3・寺1,馬3・牛9,金谷学校の生徒数は男45・女18,教師2,物産は横須賀町へ輸送(残稿)。明治22年衣笠村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7302882