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久地(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ高津村,昭和3年高津町,同12年川崎市,同47年からは同市高津区の大字。明治45年一部を東京府荏原【えばら】郡玉川村・北多摩郡砧【きぬた】村(東京都世田谷区)に編入。明治24年の戸数97,男290人・女278人,昭和8年の戸数177・人口987,同25年の人口1,254,同34年の世帯数890・人口4,197。明治の末頃からモモ・ナシの栽培が盛んとなり多摩川名産の中心的産地となる。大正9年河口から久地までの多摩川右岸改修工事が始まる。昭和2年南武鉄道(国鉄南武線)が旅客運輸を始め久地梅林駅(現久地駅)を開設。同年東方に玉川電鉄溝ノ口線(東急田園都市線)も開通して梅屋敷は「久地の梅林」としてにぎわった。同12年二ケ領用水改良工事が始まり同16年にはコンクリート製の円筒分水が完成,また津田山隧道により平瀬川は山谷川に合流。同19年食糧増産のため果樹の多くは切られたが,現在もわずかにナシ・ウメの木が残り往時の面影をとどめる。同30年代には都市化が進み,三井金属工業川崎工場をはじめ,いくつかの工場が立ち並ぶ。久地学校は明治25年溝口学校と合併して第一高津小学校となり,のちに高津小学校となる。昭和32年西高津中学校,同42年には久地小学校が開校。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303226