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小向村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。武蔵国橘樹【たちばな】郡のうち。寛永10年・元禄10年とも幕府領,幕末には江戸増上寺領。検地は寛永21年。村高は,「田園簿」では173石余うち田126石余・畑47石余,ほかに田2反余・畑31町1反余の堤外見取場がある。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに175石余。助郷は元禄7年から大助郷を勤め川崎宿に出役したが,増上寺領になってからは免除。「新編武蔵」によれば,川崎宿の西に位置し,村の東西8町・南北4町余,家数68軒,神社は八幡宮があり,例祭日は9月19日。現在川崎市習俗技芸に指定されている獅子舞は,享保年間に同寺の日義上人が上総国から伝えたものという。日蓮宗田中山妙光寺は天正13年日是上人の開山。同寺には,川崎宿の再興,二ケ領用水の修築,多摩川・酒匂【さかわ】川の治水などに尽力し,また「民間省要」を著した民政家田中丘隅の墓がある。用水は下平間から流入する二ケ領用水を利用。農業は米作を中心に副業としてナシ栽培が盛んだった。文化4年には村内に砂利採取者が3人おり,多摩川の砂利採取について郡内の9か村とともに,江戸の砂利屋と議定証文をかわしている(安藤家文書)。宝暦元年,近隣3か村と連名で多摩川堤防修理の願書を提出(成川家文書)。明和8年には近隣4か村とともに大師河原3か村と水争いを起こしている(石井家文書)。村内の梅林は寛文年間に換金作物として植えられたと伝え,元文年間には50町歩,明治初年には20町歩余であったが,同4年の洪水で被害を受け7町歩余に減少した。同13年成島柳北の小向探梅記が朝野新聞に掲載されると,多くの文人・墨客が訪れ,同17年3月には明治天皇が行幸し観梅した。天保年間,野崎伝三郎が寺子屋を開いたが,嘉永5年廃止(日本教育史資料書)。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。同4年戸手村・小向村・古川村の有志が妙光寺に小向塾を,同6年には玉光舎を開設,同7年小向学校と改称,同10年に戸手村に移転。同22年御幸【みゆき】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303442