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座間(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ座間村,昭和12年座間町,同16年相模原町,同23年座間町,同46年からは座間市の大字。明治24年の戸数250,男646人・女654人。同30年道路中央の小川は東側に移され,市場が衰えて商店が増えた。同30年代後半より蚕種製造が盛んとなり昭和初年まで続いた。大正14年厚木~上溝(相模原市)間を乗合自動車が開通。昭和2年小田原急行鉄道(小田急)小田原線の開通に伴い座間(現相武台前)駅を誘致。同39年座間電報電話局開局。昭和12年旧陸軍士官学校が移転,第2次大戦後米軍が接収,キャンプ座間となり現在に至る。江戸期から凧揚げが盛んで,青年たちは毎年のように8~10m四方の大凧を作り,4月から端午の節句にかけて揚げたが,昭和30年頃からやみ,現在は座間市で1つしか作られない。一部が,同34年相模台・立野台,同36年相武台,同38年緑ケ丘,同45年明王,同49年相武台1~4丁目・広野台1~2丁目,同50年座間1~2丁目,同51年入谷1~3丁目となる。世帯数・人口は,大正14年275・1,757,昭和55年23・159。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303588