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平(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ向丘村,昭和13年川崎市,同47年同市高津区,同57年からは同市宮前区の大字。一部が昭和26年向ケ丘,同36年五所塚1~2丁目となる。明治24年の戸数67,男201人・女209人,昭和25年の人口725,同34年の世帯数148・人口787,同40年389・1,816。町村制施行の際,役場が設置され次第に向丘村の行政・教育などの中心地となる。明治30年東泉寺を仮校舎として高等向丘小学校創立,翌31年には現在地に校舎を新築移転,同41年には尋常高等小学校として統合,以後の変遷を重ねる。明治の末頃から豚・役牛・鶏を飼育,タケノコ・クリ・モモの栽培が始まり,大正の末頃からは養蚕にかわってトマト・ナス・キュウリ・カボチャ・ハクサイ・キャベツなどの野菜づくりが盛んとなった。昭和15年南側の一部(現白幡台・南平付近)が軍用地に接収され東部62部隊演習地となる。水田の暗渠排水と耕地整理が行われ米・麦の二毛作が可能となり,同19年には食糧増産のためモモの木は切られた。同27年市立向丘診療所を開設。第2次大戦後は近郊農村として野菜づくりが盛んに行われ,のちビニールハウスによる早期栽培なども見られた。昭和36年頃からは大規模な宅地造成が進み,同43年市営高山団地完成,翌44年東名高速道路全面開通。その後市道野川柿生線が造られ,住宅建設などによって都市化が進み,緑に包まれた景観は大きく変貌したが,現在でもわずかに礫溝栽培などによる野菜づくりが続いている。地内には宮前区役所向丘出張所・向丘農協・向丘郵便局などがある。なお白幡八幡宮には射的祭・禰宜舞などの行事があり,祭り囃子で知られている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7304014