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半分形村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。相模国足柄上郡のうち。寛永10年小田原藩領,元禄10年旗本稲葉氏知行,幕末には旗本高井氏知行。村高は,「元禄郷帳」169石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに191石余。検地は万治3年。当村は近隣の遠藤・久所【ぐぞ】・田中・北田・藤沢の5か村と合して六名と呼ばれた。寛延3年より小田原宿の助郷を勤める。「新編相模」によれば,江戸から19里余,東西20町余・南北10町余,家数32軒,鎮守は遠藤村の五所八幡宮。明治4年小田原県から足柄県を経て,同9年神奈川県に所属。同22年中村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7304732