笛田(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ深沢村,昭和23年からは鎌倉市の大字。明治24年の戸数62,男216人・女228人。昭和3年頃から,菅原通済が日祐庵を営むとともに地内南部の丘陵地帯に住宅地化がはじまり,この辺を通称鎌倉山と命名。同21年鎌倉山住宅地の鎮守として通称山ノ神に鎌倉山神社を設立。同29年菅原通済は日祐庵を前身とした常盤山文庫を設立,宋・元および鎌倉期の禅林美術を展示・公開した。世帯数・人口は,昭和8年129・837,同18年175・913(うち鎌倉山50・196),同25年339・1,565,同35年422・1,851,同45年1,099・4,065,同50年1,668・5,776。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7304889 |





