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三増郷(中世)


 戦国期に見える郷名。相模国愛甲【あいこう】郡のうち。永禄12年10月26日の北条家朱印状写に「於三増上原甚次郎仕□就不足被相押候」と見える(相文/県史資3下‐7877)。これ以前の10月5日,当郷北方の三増峠にて小田原北条氏と武田信玄の軍勢が衝突しているが,同文書によれば上原甚次郎はこの三増の合戦に北条氏照の将として出陣中であったため,その所領である武蔵国久良岐【くらき】郡戸部郷の所定の年貢を納めきれなかったという。天正15年3月23日の北条氏政朱印状によれば「三増郷」の農民たちの訴えに対して氏政は代官の押妨を防ぐ3か条を示し,もしこの後に非義があれば代官を代えるという異例な譲歩を行っている(同前9244)。また天正15年7月晦日の北条家定書には弓・鑓・鉄砲などの武具を支度すること,侍・凡下の交名を提出することなど6か条を当郷の小代官・百姓中に命じている(同前9280)。天正18年5月24日の内藤綱秀朱印状によれば,津久井城普請のための10人が「ミまし」に割りあてられている。また同年6月24日には徳川家康禁制が「見増之郷」に下された(同前9807)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7305218