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裏館村(近世)


 江戸期の村名。蒲原郡のうち。元和2年三条藩主市橋氏が当地南端(のちの三条町の北端)へ三条城を移転したことにより,当地はその城下となり,三条町と呼ばれるようになったが,同9年三条藩廃藩を経て寛永19年三条城が破却されたため次第に衰微し,三条村と呼ばれるようになる。その後三条城の城廻り空屋敷を開発した出新田三条町(のちの三条町)が次第に発展したことにより,三条村と紛らわしいため,延宝3年に小字名であった裏館をもって村名とした(三条市史資料編3)。元和2年三条藩領,同9年幕府領,慶安2年村上藩領,享保2年高崎藩領,宝暦2年幕府領,同6年新発田【しばた】藩領,同13年高崎藩領,寛政12年幕府領,享和元年からは高崎藩領。村高は,元和6年三条御引渡郷村帳1,561石余,万治元年検地1,278石余(裏館村明細書),「元禄郷帳」1,056石余,「天保郷帳」1,273石余。裏館村明細書によれば,万治元年検地での反別は田94町余・畑5町余(三条市史資料編3)。寛永年間頃から庄屋が2人置かれる。宝永6年の家数84(庄屋2・組頭4・本百姓30・小百姓48),人数530。時宗乗蓮寺,真言宗宝塔院,曹洞宗定明寺,浄土真宗正覚寺・善性寺があり,いずれも三条城の移転後に中世の三条城(三条島ノ城)のあった須頃島から移転してきたという伝承をもつ。宝永7年頃に東裏館村と西裏館村に分村した。現在の三条市西裏館1~2丁目,東裏館1~2丁目,林町2丁目,旭町2丁目にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7306905