長峰新田(近世)

江戸期~明治22年の新田名。頸城郡のうち。長峰新田村ともいった。元和2年長峰藩領,同4年高田藩領,天和元年幕府領,寛保元年からは高田藩領。村高は,「天和高帳」335石余,「天保郷帳」では竹直村枝郷とあり長峰新田村361石余。元和2年牧野忠成が築城を始めた長峰城跡があり,郭・空堀を残す。忠成は当地へ一度も入部せずに,同4年長岡に移封され,長峰城も廃城となった。元禄9年長峰新田村絵図(大滝家文書)によれば,家数34・寺1。農業用水は長峰池(袴池)・犀ケ池を利用。文化8年地内に長峰郷蔵が設けられた。神社は神明社。寺院は真宗大谷派光円寺。明治12年からは中頸城郡に所属。同21年の戸数45・人口298。同22年中吉川村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7313313 |