原虫野新田(近世)

江戸期~明治22年の新田名。魚沼郡のうち。寛永7年に開墾した新田村という。寛永11年8月17日高田藩代官山田半右衛門が十日町庄屋にあてた書状によると,虫野村新田開発について,来春消雪を待って家20軒を建てるが,虫野村に萱野がないので,十日町の萱野で刈らせるよう藩命を伝えている(荒井家文書)。元和2年長岡藩領,同4年高田藩領,延宝9年幕府領,文久元年からは会津藩領。村高は,「正保国絵図」では原虫野村と見え99石余,「天和高帳」114石余,「天保郷帳」138石余。天和3年検地帳での反別は,田8町余・畑4町余。宝永5年成箇帳に小物成として大工役などが見える。農業のほか,男は薪を切り,女は白布・縮・小白布を織る。また,山漆・里漆木があり,蝋実は藩の買上げとなる。宝永8年の家数10。宝暦5年には家数30・人数126,馬4。鎮守は稲荷神社。明治12年南魚沼郡に所属。同21年の戸数33・人口198。同22年伊米ケ崎村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7314190 |