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渡里町(近世~近代)


江戸期~現在の町名江戸期は長岡城下の1町明治初年~明治43年は長岡を冠称城の西地名は町の西部を流れる柿川に渡し場があったことによる寛永年間の渡し賃は1人銭1文延宝5年,長岡の旅籠屋をすべて当町内に集めた(長岡町守書)長岡船道と呼ばれた柿川通運の船着き場(河戸)があって米・塩・紙・魚・衣類などが積み替えられたり,陸揚げされ,旅館とともに土蔵や商家が立ち並び,江戸中期には36軒の町屋があった(延宝年中図)光徳寺・明善寺・西入寺・専光寺・長永寺などがあった戊辰戦争で焼失,のちに復興し,明治中期には歌舞伎が公演できる劇場長岡座が作られた明治22年長岡町,同39年からは長岡市に所属大正9年の人口736,昭和9年の世帯数120・人口729同38年本町1~4丁目の一部を編入




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7316773